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のんびり屋の日記

ニートになりたい研修医のブログです。備忘録や日々思ったこと。大したことは書いてないです。

たかが世界の終り(It’s only the end of the world) 人間は血がつながっててもわかりあえない他人

映画

2月11日の公開日にグサヴィエドラン監督の「たかが世界の終り」を見てきた。

恵比寿ガーデンプレイスの映画館まで行ってきたけど、あそこは本当にgarden placeでした。一つの敷地にデパート、映画館、美術館、レストラン、庭があって、外にはベンチとか置いてあって、今までララポートみたいな複合施設しかいったことなかったのでビックリしたww

デートスポットとして人気あるんだろうなあという感想。お一人様のひとも結構いたけれど。

 

 

映画のあらすじ

 

「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。母のマルティーヌは息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌは慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ、彼の妻のカトリーヌはルイとは初対面だ。オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる――――。 (引用しました)

 

 

 

 

グサヴィエドラン監督の映画で描かれてるのは言葉で言うのは難しいけど、「わかりあえない、理解されない人間達」っていう感じがする。

この人間達ってのは、

「マイマザー」,「mommy」→母と子

 

「胸騒ぎの恋人」、「トムアットザファーム」ではちょっと違うかもしれない。

 

「私はロランス」→トランスジェンダーの主人公と主人公を理解できない周囲の人

 

があてはまるのかな。

 

「たかが世界の終り」は登場人物は家族の五人だけ、舞台はほとんど家。

舞台が変わらないから、一人一人の表情、行動、セリフがすごい際だって見える。特に主人公のルイはほとんどセリフがないんだけど、繊細な表情がクローズアップしてとられていて何かを訴えてる感じがした。この主人公と他の四人の家族が一対一、あるいは全員で一つの空間で対話していくだけの映画なんだけど、人間達の不協和音がジャーンと聞こえてくるようで、とても面白かった。

久しぶりに再会したけど、みんな探り合っててわかりあえない不器用でちぐはぐな感じが描かれてる。

 

 

 

個人的に好きなシーンは二つあって、

ルイと母親の対話のシーンで、

「あなたのことが理解できない。でも愛してる」ってルイに母親が言う場面。

「理解できない、さようなら」、「理解できないから苛立つ、排除する、攻撃する」とかではなくてわかりあえないことを受容してるとこがとてもいいと思う。

 

もうひとつはルイと妹の対話のシーン

ルイは妹が小さいころに家を出ていて、妹のシュザンヌは自分のことをルイに話すのだけど、会話の中でシュザンヌが「私らしくない」と言うとこがあってルイが「私らしいって?」と聞き返す場面。

私らしいってなんだろう?シュザンヌ役のレア・セドゥのインタビューで「自分自身を表現することの難しさを伝えている」ってあるけど、本当にその通りだと思う。人間はいろんな顔を持っていて、家族、友人、職場の人間には多少の使い分けはあるんじゃないかなあ。多重人格という意味じゃなくて、相手や場面によって変わると思う。よく自分探しの旅っていうけど、探せば探すほどたどりつかないような気がする。ぐるぐるとまわってなんにもみつからないんじゃないかと私は思ってしまう。じゃあどこにあるの?って聞かれても困るんだけど。

 

 

やっぱりグサヴィエドランの映画では音楽が効果的に使われていて、サントラ買ってしまった!!音楽のチョイスもすごくいいんだよね。主人のルイが12年ぶりに家に帰る時に camileのhome where it hurtsが流れた時はなんか鳥肌がたってしまった。